📋 目次
📖 この記事でわかること
- ✅ 明治時代にどうやって日本語が統一されたかがわかる
- ✅ 100年前の教科書が現在とどう違うかがわかる
- ✅ 戦時中の教科書に何が書かれていたかがわかる
私たちが小学校で当たり前のように使っていた教科書。実は100年前の教科書を開いてみると、現在の常識とはかけ離れた内容が満載です。世界の国名がすべて漢字で書かれていたり、歴史の教科書に縄文時代が存在しなかったり。そこには、欧米列強に追いつこうと必死だった日本人の姿が映し出されています。
明治の最大課題は「言葉がバラバラ」だったこと
明治時代に入り、日本は近代的な学校制度を整備し始めました。しかし、その前に立ちはだかった最大の壁は「国民同士の言葉が通じない」という問題でした。
江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の回想録にはこんなエピソードが残っています。
将軍ですら言葉が通じなかったのです。このままでは国としてまとまれず、最悪の場合は欧米の植民地にされる恐れがありました。そこで、東京の上流階級で使われていた「山の手言葉」を標準語として全国に広めることが決まりました。これが現在の日本語の原型です。
さらに、西洋から入ってきた概念に対応する日本語も次々に生み出されました。
- 「Culture」→「文化」
- 「Economy」→「経済」
- 「Science」→「科学」
実は「中華人民共和国」や「朝鮮民主主義人民共和国」といった国名にも、明治時代に日本で作られた漢語が使われています。日本語の影響力は海を越えていたのです。
明治初期の国語教科書:いろは順&今はない文字が存在した
明治4年の廃藩置県の翌年、学制が公布され、身分に関わらず全ての国民が学べるようになりました。教育内容も江戸時代の寺子屋のようにバラバラではなく、全国一律に統一されます。
小学校で最初に学ぶのは現在と同じくひらがなとカタカナ。しかし、今とは違う点が2つありました。
- ひらがなの順番が「いろは順」だった(現在は「あいうえお順」)
- 現在は使われていないカタカナが存在していた(「こと」「とも」「時」と読む文字など)
ちなみに、ひらがなは「いろは順」なのにカタカナは「あいうえお順」という、統一感のない構成だったのも面白いポイントです。
福沢諭吉の教科書:世界の国名がすべて漢字だった
明治初期の学校では、国語以外の科目に海外の教科書を翻訳したものや一般書籍が使われていました。その代表例が福沢諭吉の『世界国尽』です。
この本の特徴は、世界各地の地名がすべて漢字で書かれていること。たとえば、こんな対応です。
- 印度 → インド
- 亜米利加 → アメリカ
- 露西亜 → ロシア
- 英吉利 → イギリス
- 仏蘭西 → フランス
- 亜剌比亜 → アラビア
- 伯剌西爾 → ブラジル
- 新嘉坡 → シンガポール
当時の日本人にとって海の向こうはまさに未知の世界。この教科書は、見たこともない世界の姿を漢字という親しみある文字で伝えようとした画期的な試みでした。
欧米は学問の国、中国は衰退国、アフリカは…差別的記述も
『世界国尽』には当時の世界の人々の暮らしぶりが描かれていますが、一部には現代の感覚では差別的ともいえる表現が含まれています。
中国(当時は「清」)について:
「上に立つ人の思い通りに事を進めるので、中の人は皆高校人根性となり、本当に国のためを思うものなく、ついに外国に踏みつけられている」という趣旨の記述がありました。アヘン戦争でイギリスに敗れ、香港を割譲した歴史が背景にあります。
アフリカについて:
差別的な表現で住民を描写し、「支配者が力ずくで民を苦しめるため、争いが絶えることがない」と記されていました。一方で、建設中のスエズ運河についても言及しており、本の出版年(1869年)と同じ年に完成しています。
欧米について:
福沢諭吉は欧米の繁栄の秘密を「学問」に求め、「ヨーロッパが発展したのは一人一人が学問に励んだからだ。日本人も共に学び、ヨーロッパのように栄華を極めよう」と説いています。この3年後に出版される『学問のすゝめ』の原点が、すでにここにありました。
当時の教科書には現代では許容されない差別的記述も含まれていました。しかし、それは当時の世界観・時代背景を反映したもの。「こんな時代があった」と知ること自体が、歴史を学ぶ意味のひとつです。
国語の教科書が指摘した「日本人の長所と短所」が鋭すぎる
国語の教科書には「日本国民性の長所短所」という記述がありました。
しかし同時にこう続きます。
「自分で思うままに作る創造力は十分に発揮されたことがなく、昔からほとんど模倣のみをこととしてきた感がある。日本人には独創力がないと自らも軽んじ、外国人からも見なされている」
100年以上前に書かれた指摘ですが、「日本人は模倣は得意だが独創力がない」という議論は、現代でもしばしば耳にします。そしてこの教科書は「模倣を脱して独創力を発揮し、世界文明に大いに貢献したい」と締めくくっています。時代を超えた課題です。
歴史の教科書に「縄文時代」がなかった理由
現在の日本史は人類の歴史から始まり、縄文時代→弥生時代と進みます。しかし明治の教科書には縄文時代も弥生時代も存在しませんでした。
これは意図的に省いたわけではなく、単純にまだ分かっていなかったからです。旧石器時代の遺跡が日本で最初に発見されたのは1947年。古代の歴史はまだ謎に包まれていました。
その代わりに詳しく書かれていたのが日本神話です。
- 最初に登場するのは天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
- 皇室の祖先・天照大神も詳しく紹介
- 初代・神武天皇から歴代天皇が一代ずつ紹介される
- 年月は西暦ではなく元号で表記
現在の教科書が「平安時代」「鎌倉時代」と時代区分で整理するのに対し、明治の教科書は常に天皇を中心に歴史を語ります。たとえば織田信長の桶狭間の戦いも、まず当時の天皇を紹介し、その治世下で起きた出来事として記述されていました。
「徳川家康が江戸幕府を開いた」
「徳川家康が征夷大将軍に任命された」(=天皇から任命される形を強調)
天皇を中心とした国家体制を構築しようとしていた当時の意図が、教科書の書き方一つからも読み取れるのです。また、巻末の著者名の横には「士族」「平民」という肩書きが記されており、身分制度がまだ根強かったことも示しています。
地理の教科書:日本の領土は今よりずっと広かった
日清・日露戦争を経て領土を拡大した日本。当時の地理の教科書は、今の日本地図とはまったく異なるものでした。
- 台湾と朝鮮が日本の一地方として掲載
- 朝鮮は1912年の教科書で併合後の「新しい領土」として描写
- 併合前の教科書では朝鮮は「保護国」という扱い
- 日本最高峰は富士山ではなく台湾の新高山(にいたかやま)だった
この新高山は、真珠湾攻撃の際に「ニイタカヤマノボレ一二〇八」という攻撃開始の暗号電文として使われたことでも知られています。
領土が広がった当時の日本は多民族国家であり、教科書にはさまざまな民族が紹介されていました。
- 台湾の原住民族
- 北海道のアイヌ民族
- 樺太のオロチョン族・ニヴフ族
開戦直前の世界地図:アフリカとアジアは植民地だらけだった
1941年、日米開戦の1ヶ月前に発行された世界地図を見ると、現在とはかなり異なる世界の姿が浮かび上がります。
- アフリカとアジアの大部分が欧米列強の植民地
- アフリカには「ローデシア」「エチオピア」など現在とは異なる国名
- 朝鮮半島の北に「満州国」がはっきり記載(日本の赤色とは別色で独立国を強調)
- 世界各地の日本人人口も記載(ハワイやブラジルへの移民の時代背景が読み取れる)
戦時中の教科書:算数にも戦闘機、国語にも軍艦
日米開戦後、教科書の一部には戦意高揚を目的とした内容が登場し始めます。
算数では戦闘機や戦車を数えさせる問題が出題されました。国語の教科書には、潜水艦の艦長であるおじさんと甥っ子の物語が掲載され、こんな一文で締めくくられています。
そして1945年、日本は無条件降伏。GHQの検閲により、新しい教科書が完成するまでは従来の教科書が使用されましたが、軍国主義的な内容はすべて黒く塗りつぶされました。いわゆる「墨塗り教科書」です。
教科書は「その時代の日本」を映す鏡だった
戦後復興を経て、教科書の内容は多様化し、日本は急速に発展していきました。明治時代から培ってきた教育が、日本の発展に大きく寄与したことは間違いありません。
最近では小学校に英語の授業が導入され、教科書が紙からタブレットに変わりつつあります。今の私たちが100年前の教科書に驚くように、いつか遠い未来の人々が現在の教科書を見て驚く日が来るのかもしれません。
自分が小学校で使っていた教科書の内容を1つ思い出し、「今も同じか?変わったか?」を調べてみよう。教育の変化を知ることは、社会の変化を知ることです。
「知ってる?100年前の教科書って、世界の国名が全部漢字で書いてあったんだよ。ブラジルは『伯剌西爾』、シンガポールは『新嘉坡』。しかも日本最高峰は富士山じゃなくて台湾の新高山だったんだって。あと明治の国語の教科書に『日本人は模倣は得意だが独創力がない』って書いてあって、100年経っても同じこと言われてるっていうね…」


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