📋 目次
📖 この記事でわかること
- ✅ 感覚が文化や歴史で変わる具体例がわかる
- ✅ ガラス・セロハン・プラスチックが社会を変えた仕組みがわかる
- ✅ 視覚優位の現代社会がなぜ生まれたかがわかる
「うるさい」と感じる音は、世界中どこでも同じだと思っていませんか?
実は、何を騒音と感じるか、何を美味しいと思うか、そもそも感覚を何個に分けるかすら、文化や歴史によってまったく違うのです。
今回紹介する『感覚入門 ─なぜプラスチックを清潔に感じるの?─』は、私たちの「当たり前の感覚」が実は社会に作られたものだと教えてくれる一冊です。
カレーライスが「特別料理」だった時代がある
大正時代の日本では、カレーライスやコロッケはデパートの食堂で食べる特別な西洋料理でした。
家庭で気軽に作るものではなく、油を使った揚げ物自体が日本の食文化にはなかったからです。
『この世界の片隅に』でも、コロッケのレシピを読んで「こういうものがあるらしいぞ」と挑戦する場面が描かれています。まるで現代の私たちが珍しい異国料理に挑むような感覚です。
- カレー・コロッケ・コロッケは「近代化の味」として受け止められた
- 油を使う調理法自体が日本料理にはほぼなかった
- 「美味しい」の感覚すら社会の変化に影響されていた
つまり、カレーが美味しいと感じたのは純粋な味覚だけでなく、「近代化」「西洋」「新しさ」という社会の文脈が味覚に上乗せされていたのです。
「うるさい」と感じる音は国によって違う
ドイツと日本で「何を騒音と感じやすいか」を比較した研究があります。結果は意外なものでした。
ドアをバタンと閉める音
足音など「物体が動く時の音」
子供の遊び声
テレビ・ラジオの音など「発せられた声や音」
もちろんどちらの国の人も両方うるさいと感じますが、「何により強くイライラするか」が文化圏で異なるのです。
ちなみに、電車の中で他人の電話がやたらうるさく感じるのは、片方だけの会話が自然界に存在しないため、脳が「異常事態だ」とセンサーを過剰に働かせてしまうからだとも言われています。
五感の分け方すら文化によって違う
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚。この「五感」という分け方、世界共通だと思いますよね?
実は、これも普遍的なものではありません。
- 仏教:五感+「意識」で六感(日本語の「第六感」もここから)
- ナイジェリアのハウサ族:「視覚」と「それ以外」の二感
ハウサ族にとっては「見るか、見る以外か」で十分。5つに分ける必要がないのです。
さらに、感覚の「順位づけ」も文化によって異なります。
なぜ「見る=わかる」なのか?視覚優位の西洋思想
古代ギリシャのアリストテレスは、感覚に順位をつけ、視覚を最も発達した感覚としました。
この考え方は現代にも深く根づいています。
- 英語の「I see」=「わかった」→ 見る=理解する
- 「百聞は一見にしかず」→ 聞くより見る方が上という前提
- 活版印刷の発明 → 知識は「聞くもの」から「見るもの」へ
一方、ブラジルのある部族の言葉では、「聞く」が「理解する」を意味します。「それは私の耳の中にある」=「学びました」という表現です。
「わかる」という行為が「見る」に結びつくか「聞く」に結びつくか。ここにも文化の違いが表れているのです。
私たちが「理解する」という行為を「見る」のメタファーで語ること自体が、視覚優位の文化に染まっている証拠。「百聞は一見にしかず」も、実は文化的バイアスかもしれません。
ガラス・セロハン・プラスチックが「見る社会」を完成させた
本書のメインテーマとなるのが、ガラス・セロハン(包装フィルム)・プラスチック(タッパー)という3つの素材です。
19世紀後半から20世紀にかけて登場したこれらが、私たちの感覚を根本的に変えました。
ガラス:見えるけど触れない世界の始まり
工業製品として綺麗なガラスが量産されると、建築家たちは熱狂しました。
「内部と外部の隔てが存在しない素材だ」「風景との間に置かれた仕切りには実体がない」と大興奮。私たちにとっては当たり前のガラスですが、当時は革命でした。
- ショーウィンドウの誕生:商品を誰でも見られるようになった
- それまではお店の奥に商品があり、店員に頼まないと見せてもらえなかった
- ガラスケースのおかげで万引きも防げて商品を展示できるように
- 消費経済が一気に促進された
しかし皮肉なことに、誰でも見られるようになった一方で、触れられなくなったのです。商品の質感や重さを手で確かめることが難しくなり、「見て判断する」社会が始まりました。
セロハン(包装フィルム):セルフサービス社会の到来
透明な包装フィルムが登場する前は、新聞紙で商品を包んでいました。中身は見えません。
そしてフィルムの普及と同時に、セルフサービス型のスーパーマーケットが誕生します。
店員さんに「これください」と言って持ってきてもらう。触って確認も可能。匂いも嗅げる。
カゴを持って自分で商品を選ぶ。透明フィルム越しに見て判断。触れない・嗅げない。
フィルムのおかげで商品を「見て選べる」ようになった反面、触覚や嗅覚で確かめることはできなくなった。ここでもまた「見て判断しろ」という社会が強化されていきました。
その究極の形が、コンビニのサンドイッチ問題。フィルム越しに豪華に見えるのに、開けたらスカスカ。さらには弁当のレタスが写真だったという衝撃の事例まで。視覚に頼りすぎた社会の歪みがここに表れています。
私たちの「感じ方」は思っているほど自然じゃない
ここまでの話を整理しましょう。
- 味覚:カレーを「美味しい」と感じるのは近代化の文脈があったから
- 聴覚:騒音と感じる音が国によって違う
- 感覚の分け方:五感は普遍的ではなく、二感の文化もある
- 視覚の優位性:アリストテレス+活版印刷+ガラス・フィルムが強化した
- 触覚・嗅覚の衰退:透明素材の登場で「触って確かめる」機会が激減
今日の買い物で、1つだけ「見た目」ではなく「触った感覚」や「匂い」で選んでみよう。
視覚に偏った判断をしていることに気づくはずです。
「知ってる?ナイジェリアのハウサ族って、感覚を”2つ”にしか分けないんだって。『見る』と『見る以外』。五感って世界共通だと思ってたけど、そもそも何個に分けるかすら文化で違うらしいよ。しかもさ、英語で『I see』って『わかった』って意味じゃん?あれも”見る=理解する”っていう西洋の視覚優位の考え方が染みついてるかららしい。日本語の『百聞は一見にしかず』も同じ。俺ら思ってる以上に”見ること”に洗脳されてるのかもね。」


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