📋 目次
📖 この記事でわかること
- ✅ 家事が労働と認められなかった歴史的背景がわかる
- ✅ 韓国の家事使用人の権利問題と法改正の流れがわかる
- ✅ 母親たちの労働人生から現代ジェンダー問題を考えるヒントが得られる
強度の高い労働をしているのに、労働基準法で保護されない。名刺にも肩書きが書かれない。
そんな職業、何だと思いますか?
答えは「母親」です。
毎日の家事・育児・介護。どう見ても重労働なのに、長い間「仕事」とは見なされてこなかった。この問題に切り込んだ韓国発の書籍と、その背景にある社会の意識変化を紹介します。
家事代行ですら「労働者」じゃなかった韓国の現実
韓国には、よその家庭に入って家事を請け負う「家事使用人」という仕事がありました。
お金をもらって家事をしている。どう考えてもサービス業であり、労働です。
ところが、この人たちが韓国の「勤労基準法」(日本でいう労働基準法)で労働者として認められたのは、2021年5月。勤労基準法が制定されてから68年も経ってからのことでした。
2021年まで、家事使用人として派遣される女性たちには労災保険すら適用されなかった。仕事中にケガをしても、労災は降りない。「労働者」としてカウントされていなかったからです。
映画『パラサイト 半地下の家族』に出てくる住み込みの家政婦さん、覚えていますか?あのおばちゃんも、仮にケガをしても労災にはならなかった。そういう時代だったのです。
なぜ? ── 「家事=労働ではない」という根深い概念
一見すると、2つの問題は別物に見えます。
外部の人を雇ってお金も払っているのに「労働者」として認めない
家庭内で母親がやっている家事を「仕事」として認めない
しかし、根っこは同じです。
「家事は労働ではない」という概念が社会の根底にあった。
だから外部の人にお金を払っていても「労働」にならなかったし、家庭内の母親がやっていることも当然「仕事」とは見なされなかった。
2021年に家事使用人が労働者と認められたことで、ようやく「家事にかかっている負担は労働だ」「お母さんたちは大変な目に遭っていたんだ」という認識が広がり始めたのです。
書籍『私たちにはまだ名刺がないだけで、仕事してこなかったわけじゃない』
この意識変化の中で生まれた1冊があります。
ハンギョレ新聞ジェンダー企画班『私たちにはまだ名刺がないだけで、仕事してこなかったわけじゃない ── 韓国女性たちの労働生活史』
2022年1月〜3月にハンギョレ新聞で報道されたジェンダー記事をもとにまとめられた書籍です。
取材対象は、主に60〜70歳前後の韓国女性たち。結婚して子どもを育て上げた経験のある、都市部や農村部に住む「お母さんたち」です。
- 家事代行の人ではなく、実際の「お母さんたち」へのインタビュー集
- お母さん業をやりながらバリバリ働いてきた女性たちの人生記録
- フルカラー写真付きで、一人ひとりの表情まで伝わる構成
この本が出版されたこと自体が、「家事は労働だ」という社会の意識変化の成果です。それまで、女性が自分の人生を語ること自体を社会が許容してこなかったのだから。
ソウルの麺料理屋・チョンさんの壮絶な人生
本書の冒頭に登場するのが、ソウルで麺料理店を営むチョン・テソン・エさん。
朝鮮戦争をギリギリ経験した世代の70代女性です。
- 子ども時代から時代の変化にくらいつき、縫製工場で働く
- 韓国料理店のオーナーシェフとして店を経営
- 婦人服デザイナーとして業界の上位までのし上がる
- 年子の娘と息子を育て上げる
- 実の父親を介護
- 脳梗塞・アルツハイマーを発症した夫を20年以上ケア
- それでも毎朝4時起きで飲食店経営を継続中
インタビュアーが「チョンさん、本当にすごいですね」と言うと、彼女はこう答えました。
「すごくなきゃ、どうするのよ」
かっこいい。でも「かっこよくならざるを得なかった」人生だったのです。
「私なんかに何を聞くんですか?」に隠された抑圧の構造
本書に登場するおばちゃんたちは、インタビューの冒頭でみな同じことを言います。
「私なんかに何を聞くんですか? 別にいいですけど」
一見すると謙遜に聞こえます。でも、この言葉の背景にあるのは謙遜ではありません。
しかし、女性が自分の功績を語ることを、韓国社会が長く容認してこなかった。「女性が男性よりできると問題」とされ、学習すら阻害されていた時代があったのです。映画を観に行くにも兄の許可が必要だった世界観です。
これは韓国だけの話ではありません。日本でも「女は嫁に行くんだからいいんだよ」と言われ、兄弟間で男の子が優先的に進学させてもらえた時代がありました。今もゼロではないでしょう。
「すごい」と称えることの落とし穴
ここまで読んで「お母さんたち、すごいな」と思ったかもしれません。
でも、ジェンダーの観点からはこの反応にも注意が必要です。
「あの人たちは特別だから頑張れたんだ」と偉人に祭り上げてしまう。自分とは関係ない話にしてしまう。「ひとごと」にする。
「すごくならざるを得なかった社会構造」に目を向ける。彼女たちが背負ったものは、本来社会が支えるべきだったと考える。
称賛は大事です。でも「すごい人」として神格化してしまうと、「私たちとは違う特別な存在」になってしまう。すると、社会の構造的な問題が見えなくなるのです。
時代の速度感の違いも考えてみる
「おばあちゃん世代はタフだな、自分はダメだ」と思う必要もありません。
パソコンが生まれる前、コミュニケーション手段は手紙と電話だけ。手紙は届くまで2〜3日。電話も事前に約束した時間にかける。
今の私たちは「今すぐ返さなきゃいけない連絡」が常に溜まっている世界に生きています。時間の流れ方と密度がまったく違うのです。
「善悪」で語ること自体が問題
本書の背景にある問題の本質は、人の生き方やあり方に「善か悪か」という判定が存在していたことです。
女性がスカートを履くだけで非難される。女性が学ぶことが問題視される。
「似合う・似合わない」の判断基準はあっていい。でも「悪だ」という判定は、服に対して言うことじゃないし、人の生き方に対して言うことでもない。
その「善悪の判定」が存在していたこと自体が、根本的な問題なのです。
この本が存在すること自体が社会の進歩
本書に登場するおばちゃんたちが、法改正によって何か直接的な恩恵を受けたわけではありません。
しかし、彼女たちの声が拾い上げられ、1冊の本になったこと。これは「家事が労働として認められた」という社会の意識変化がなければ起きなかったことです。
「やっと本になった」──それは悲願であると同時に、社会の進歩が生み出した成果でもあります。
- 家事が労働と認められたのは韓国で2021年、日本では2024年にようやく議論開始
- 「家事=労働ではない」という概念が、外部の家事代行者すら保護しなかった
- 女性が自分の人生を語ること自体が許されなかった時代がつい最近まであった
- 「すごい」と称賛することと、構造の問題を見ることは両立させる必要がある
身近な人(母親、パートナー、同僚)がやっている「名前のつかない労働」を1つ見つけて、「それ、ちゃんと仕事だよね」と心の中で認識してみよう。
「知ってる?韓国で家事代行の人が”労働者”として認められたの、2021年だよ。お金もらって働いてるのに、労災すら降りなかったんだって。なんでかっていうと『家事は労働じゃない』っていう概念が根底にあったから。で、それが変わったことで初めて『じゃあ家でお母さんがやってることも仕事じゃん』って社会が気づき始めた。日本なんてその議論が始まったの2024年だからね。めちゃくちゃ遅い」


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