📋 目次
📖 この記事でわかること
- ✅ ワイロがもともと「贈与」の一形態だったことがわかる
- ✅ 古代ギリシア民主制の意外な弱点がわかる
- ✅ 贈与論(一般的・均衡的・否定的互酬性)の違いがわかる
「ワイロはダメ」——これは現代の常識です。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみてください。
ワイロって、昔からずっとダメだったんでしょうか?
実は古代ギリシアでは、ワイロは「贈り物」の一形態に過ぎませんでした。
それがどうして「犯罪」になっていったのか。
今回は、橋場弦先生の著書『ワイロと民主制——古代ギリシアの美徳と犯罪』をもとに、ワイロが社会悪になっていく歴史的プロセスを見ていきます。
古代ギリシアの民主制は、ワイロが起きやすいシステムだった
古代アテナイの民主制は、直接民主制でした。
つまり、プロの政治家がいません。市民みんながアマチュア集団として政治を動かしていたのです。
しかもこんな特徴がありました。
- 経験者が何度もトップに立てない仕組みだった
- 長い任期もなく、専門性を高める人材が育たない
- 政治も裁判も立法も、すべて素人の市民が担当
- 公民としての職業倫理が醸成されにくい
権力が一人に集中しないという意味では良い仕組みです。
でも「腰かけ」で政治をやっているようなものなので、職業的な倫理観が育ちにくかったのです。
さらに、市民には普段の生活があります。
親族関係、友人関係、伝統、社会的なしがらみ——。
そうした日常の人間関係が政治の場に持ち込まれ、アマチュアたちが贈収賄に手を染めやすい構造になっていました。
「ワイロだらけだった」は本当か?——資料批判の重要性
従来の歴史研究では、「古代アテナイはワイロまみれだった」と言われてきました。
実際、当時の記録にはワイロの話がたくさん出てきます。
例えば、清廉潔白な将軍として知られたペリクレス。
パルテノン神殿の建設を指示した超優秀なリーダーです。
この人は、どこかへ行っても余計な場所に寄らず帰ってくるし、ワイロの疑いを持たれないよう徹底して身を正していました。
それでもワイロのスキャンダルが出てきたほどです。
橋場先生はここで鋭い指摘をしています。
「記録がある=ワイロがあった」とは限らない。
実際にワイロの裁判記録を見てみると、無罪になっているケースが多いのです。
弁論の場ではワイロの有無は重要ではなく、相手を攻撃するための「言ったもん勝ち」のネタとして使われていた可能性が高い。
つまり、こういう構図です。
「あいつはワイロをもらった!」と訴える → 根拠として「過去にこんなワイロ事件があった」と引用する → でもその過去の事件自体が事実かどうか怪しい。
これは一種の陰謀論です。
しかもこの陰謀論が何千年もの時を超えて、現代の研究者たちにまで「古代ギリシアはワイロだらけだった」と信じさせてしまっていた。
古代ギリシア社会のアンビバレンス——ワイロは「ダメ」だけど「しょうがない」
当時の市民はワイロの疑いに対して、かなり厳しい態度をとっていたことがわかっています。
裁判沙汰にもなるし、公的にはワイロは認められないという空気がありました。
一方で、数は少ないものの、ワイロを容認するかのような言説も残っています。
「お金で解決できることもあるよね」「締めつけるだけじゃダメでしょ」——そんな政治評論が存在していたのです。
ワイロは絶対に許されない。裁判で裁くべき。市民の義務としてワイロを糾弾する。
ワイロは悪いけど、なしではどうにもならない場面もある。金で解決できるなら、それも1つの手段。
この矛盾が同じ時代に共存していたのです。
では、なぜこんなことが起きたのか?
その背景にあるのが「贈与(ぞうよ)」という概念です。
ワイロは「贈与」の一形態だった——ドーラという概念
文化人類学者マルセル・モースが提唱した「贈与論」という考え方があります。
人と人の間で社会関係を維持するために、贈り物をし、受け取り、お返しをする。
これは世界中のどの文化圏でも見られる道徳的義務行為だとされています。
贈与交換には大きく3つの性質があります。
- 一般的互酬性:「持ってけ、お返しなんていらん」——地位の差が明確な場合に成立。気前の良さが最高の美徳。
- 均衡的互酬性:友人・親族・隣近所の間で行われる。もらったら同等の価値のものを一定期間内に返す。返さないと関係が壊れる。
- 否定的互酬性:市場経済における交換。利益目的で行われ、道徳とは別の文脈にある。
古代ギリシア社会で行われていたのは、主に均衡的互酬性でした。
もらったら返す。受け取らなかったり返さなかったりしたら、敵対行為と見なされる。
そして重要なのはここです。
古代ギリシア語で贈り物のことを「ドーラ」と呼びましたが、ワイロを贈る・受け取る行為もまた「ドーラ」と呼ばれていたのです。
お中元・ご祝儀で考えるとわかる「贈与の気持ち悪さ」
この感覚は、現代の日本にもそのまま当てはまります。
例えば結婚式のご祝儀。
渡す側は「お祝いだから持ってけ!」という一般的互酬性のつもりで出しています。
ところが受け取る側は均衡的互酬性で考えて、引き出物という形で「お返し」をしようとする。
「お祝いなんだからお返しはいらないのに……」と思いつつ、カタログギフトが届く。
別に欲しいものがあるわけでもない。
「その分ご祝儀を減らしてくれればいいのに」と思ってしまう。
この気持ち悪さの正体は、互酬性のズレなのです。
こちらは「あげっぱなし」のつもりなのに、相手が律儀に返してくる。一般的互酬性のつもりが、均衡的互酬性で処理されてしまう。
一方的にもらい続けると上下関係が固定化する。力関係の不均衡を解消するために「お返し」が機能している面もある。
こうした贈与のやり取りは、市場経済とはまったく別の原理で動いています。
損得ではなく、関係性の維持。
そしてこの原理の上に、古代ギリシアのワイロも存在していたのです。
だからこそ、「ワイロは贈与だから問題ない」という感覚と、「でも公的にはダメだろう」という感覚が同時に存在し得た。
ワイロが「犯罪」として明確に線引きされるまでには、民主制の成熟と倫理観の発展が必要だったのです。
この本の面白さ——博論の「最高のあまり物」
最後にこの本自体の面白いエピソードを紹介します。
著者の橋場弦先生は東京大学大学院の教授。
この本は博士論文を書いている最中に「本題には入れられないけど、めちゃくちゃ面白い」とストックしていたトピックをまとめたものだそうです。
つまり博論の脱線本。
ずっと温めていた面白いテーマを放出してくれた、いわば「最高のあまり物」。
講談社学術文庫なのに驚くほど薄い一冊ですが、中身は濃密です。
- 古代ギリシアにおけるワイロの歴史がコンパクトにわかる
- 従来の「古代ギリシアはワイロまみれ」説を資料批判で覆す
- 贈与論の視点からワイロを読み解く新鮮なアプローチ
- 薄いのですぐ読める(学術文庫としては異例の薄さ)
次に誰かに贈り物をするとき、「これは一般的互酬性?均衡的互酬性?」と考えてみてください。
人間関係における「見えない力学」が見えてきます。
「ワイロってさ、昔はダメじゃなかったって知ってた?古代ギリシアでは贈り物とワイロが同じ言葉——”ドーラ”って呼ばれてたんだよ。もらったら返すのが当然の文化だから、政治家にお金を渡してお返しに便宜を図ってもらうのも、ただの贈与の一環だったわけ。でもそれが民主制が進むにつれて『これ公的にマズくない?』ってなっていった。結婚式の引き出物が地味にモヤるのも、実は同じ構造らしいよ。」


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