📋 目次
📖 この記事でわかること
- ✅ 福沢諭吉『世界国尽』の内容と背景がわかる
- ✅ 150年前の五大州の国際情勢が理解できる
- ✅ 明治日本が世界をどう見ていたかがわかる
明治維新で一気に開国した日本。しかし当時の日本国民は、外の世界がどうなっているのかほとんど知りませんでした。
「まず国民に世界を教えなければならない」——そんな使命感から、福沢諭吉が明治2年(1869年)に執筆したのが『世界国尽(せかいくにづくし)』です。
子どもたちが暗唱できるよう七五調で書かれたこの本は、日本初の小学校用世界地理教科書にも採用されました。当時「日本一世界に詳しい」と言われた福沢諭吉の目を通して、150年前の世界を旅してみましょう。
『世界国尽』とは?──明治日本の世界デビューを支えた一冊
江戸時代、日本は約200年にわたり鎖国を続けていました。明治維新で国を開いたものの、国民の多くは世界の地理も国際情勢もまったく知らない状態。
福沢諭吉は3度の海外渡航経験を持ち、西洋の文明を直接見てきた数少ない日本人でした。その知識を活かし、五大州(アジア・アフリカ・ヨーロッパ・北アメリカ・南アメリカ)の国々を紹介したのがこの本です。
- 執筆:明治2年(1869年)
- 著者:福沢諭吉
- 特徴:全文が七五調で書かれ、子どもが暗唱しやすい
- 日本初の小学校用世界地理教科書に採用
- 世界を五大州に分けて各国の風俗・人情・政治を紹介
アジア州──清国の衰退と植民地化の波
福沢諭吉がまず取り上げたのは、日本が属するアジア州です。地球の東側に広がるこの大陸には、当時すでに大きな変動が起きていました。
清国(中国)──「アジアの一大国」の凋落
清国は人民が多く土地も広い「アジアの一大国」と紹介されています。しかし福沢の筆は容赦ありません。
かつては「人情厚く風なり」と名高かった清国ですが、文明開化に後ずさりし、風俗は次第に衰えたと描写。決定的だったのが天保12年(1841年)のアヘン戦争です。
イギリスとの第一戦に打ち負けた清国は、賠償金として洋銀2100万を支払い、港を開くことを余儀なくされました。「なおも懲りざる」清国は再び敗れ、「その有様ぞ哀れなり」と福沢は記しています。
福沢がここに込めたメッセージは明確です。「世界を知らず、変化に対応しなければ、大国でも滅びる」——これは日本への警告でもありました。
香港──「東洋一の商大陸」
九州・長崎から蒸気船でわずか10日。アヘン戦争の結果イギリス領となった香港は、すでに「東洋一の商大陸」と称されるほどの繁栄ぶりでした。島に開かれた市と港は商売繁盛し、土地は大いに賑わっていたと記されています。
インド──イギリス支配の拠点
アジア南部のインドは、東西に分けて紹介されています。東インドにはシャム(タイ)、アンナン(ベトナム)、ビルマ(ミャンマー)などがありましたが、福沢の評価は厳しいものでした。
「人気やしく文字なく、専ら人の侮りを受けて恐るるばかりなり」——政府は立てても教育が行き届かず、列強の侵略を受けるだけだったと描かれています。
一方、イギリス領インドの総督府があるカルカッタは、軍艦や小舟が数多く集まる拠点でした。「アジア諸国にイギリスの威勢輝く源」がまさにインドだったのです。
ペルシャ・アラビア・トルコ
インドの西にはアフガニスタン、トルキスタン、ペルシャ(イラン)が並びます。ペルシャはかつて隣国を滅ぼしアジアに武威を轟かせた大国でしたが、時代の移り変わりとともに衰退。
アラビア半島は「砂原広きアラビア」と表現され、その先にはアフリカ州が広がっていました。
シベリア──「世界万国広いなし」
アジア北部のシベリアはロシアの領地で、東西1150里、南北およそ800里という「世界万国広いなし」の広大な土地。しかし厳しい寒さのため人口は少なく、東の果てはアメリカと向き合うカムチャッカ半島まで続いていました。
福沢は「蝦夷地(北海道)より煙も見える隣」と記し、ロシアが日本のすぐそばまで来ていることを読者に伝えています。
アフリカ州──「混沌の一世界」
五大州の第二番目として紹介されるアフリカ。福沢の記述は率直です。
エジプト──アフリカ一の大国
スエズ運河の西に位置するエジプトは「アフリカ一の一大国」。かつてトルコの支配下にありましたが、当時は独立国でした。国を東西に分けるナイル川、そして高さ480尺のピラミッドが「万里の長城と誉れを競う」名所として紹介されています。
喜望峰──世界航路の要
アフリカ南端の喜望峰は、イギリス領インドへ向かう船が長い航路の途中で停泊する重要な寄港地でした。「旅の憂さをも慰め、喜び望む岬」という名の由来も紹介されています。
リベリア──アフリカ唯一の共和国
福沢が特に注目したのがリベリアです。「アフリカ州のお国柄に一種無類の共和制」と称され、住民およそ50万人が国を建てていました。北アメリカで流行した「自由の風」を移植した国として、夜空に輝く星のように描かれています。
セントヘレナ島──ナポレオンの流刑地
大西洋に浮かぶ小さな島セントヘレナ。名所はないものの、フランス皇帝ナポレオンが流刑となった場所として「島の名誉」が世界に知られていると紹介されています。
ヨーロッパ州──「文明開化の中心」
福沢諭吉がもっとも力を入れて描いたのがヨーロッパです。面積は五大州で最小ながら、その評価は圧倒的でした。
- 五大州で面積最小だが「狭き国土に空き地なく」
- 「富国強兵天下一、文明開化の中心」
- 学問所が千万の数あり、教育が繁栄の源泉
- ロシア・フランス・オーストリア・イギリス・プロシアが五大国
福沢はヨーロッパの繁栄の根本を学問に求めています。「花を見てうらやむな、元なき枝に花はなし。一途に学問に急ぐこそ、あゆみ捗る回り道」——つまり、繁栄という花だけを見るのではなく、その根っこにある学問を学べというメッセージです。
イギリス──世界の覇者
福沢が最も詳しく描いたのがイギリスです。スコットランド、アイルランド、イングランドの三国を合わせた島国で、人口2900万人。
- 百工技芸、産物に事欠かず
- 鉄・石炭が蒸気機械の源で「用いて尽きぬ無尽蔵」
- 蒸気船で万里の波も恐れず、蒸気車は陸を走る
- 電信機は「鳥より早き」新工夫
- 海底ケーブル2000万里でニュースを伝達
ロンドン──「万国一の大都会」
福沢はロンドンの描写に特に力を入れています。テームズ河畔に広がる「繁華世界に類なき、万国一の大都会」。東西三里、南北二里の範囲に建物が櫛の歯のように並び、人口180万人。
夜は36万のガス灯が輝いて闇を知らず、昼夜絶えない馬車の声、港につなぐ万国の船は「森林の如し」。川にかけた鉄橋を蒸気車が走る様子は、当時の日本人にとってまさに別世界だったでしょう。
フランス──文化と軍事の大国
フランスは人口3700万人。首都パリはロンドンには及ばないものの「諸中のいやの華」と称されました。
特筆すべきは学校教育の繁盛が「西洋諸国に類なし」という点。産物も豊富で、衣類のビロード、ワインのボルドーやシャンパンなど300種類もの名産品が紹介されています。
軍事力も圧倒的で、軍艦500隻、陸兵50万人。「西洋一の軍兵」と誉れ高いと記されています。
スペイン・ポルトガル──かつての栄光の後
スペインは「昔は名高き国なれど人の性質怠りて、務める心薄ければ稼ぎの道も衰えて」と、かつての大航海時代の栄光から衰退した姿が描かれています。ポルトガルも同様に「文学技芸の流行も昔に変わり、目を驚かすものもなし」と厳しい評価。
スペインやポルトガルの衰退は、努力を怠れば大国でも落ちぶれるという教訓として描かれています。これは清国の事例と同じメッセージです。
ジブラルタル──イギリスの戦略拠点
南北わずか六七里のジブラルタル海峡。ここにイギリスが築いた要塞は「地中海の喉元を押さえる」存在で、「万古不動の大盤石」と表現されています。この戦略拠点により、イギリスの威勢は地中海全域に轟いていました。
イタリア──「天下無類の好風景」
長靴の形をしたイタリア。北にアルプス山がそびえ、南は海に突き出した温暖な国。「天気快く、晴れの山の色、秋の水の声、山と花との趣は天下無類の好風景」と、福沢にしては珍しく詩的な描写が続きます。ただし北部はやや寒く、南部のローマは「法王の霊地」として名所旧跡が多いと紹介されています。
トルコ──「人情荒き大国」
人口3200万のトルコは、東はアジアを横領し本拠地はヨーロッパという広大な帝国でしたが、「人情荒く」「風俗知識乏しく」、百千万の人民は「恐れおののくばかり」と、専制政治の弊害が強調されています。
プロシア(プロイセン)──急成長する新興国
人口1800万のプロシアは、教育に力を入れている国として注目されています。「男女の別なく文字を知らざるものなし」——つまり識字率がほぼ100%。兵士31万人を擁し、「朝日昇る勢いに四方の隣国を恐れてなびくばかり」と、後のドイツ統一につながる勢いが描かれています。
スイス──小国ながら教育立国
山坂の多いスイスは共和制の小国ですが、「文字の教えの繁盛し、百工技芸手を尽くし」と、教育と技術の充実ぶりが評価されています。
オランダ──知識の深さで自然を克服
「一国中に山を見ぬ低き平地」のオランダ。水害の憂いは絶えないものの、「人の知識の深さにて、処方に築く土手堤に田畑の害を防ぎ」と、人間の知恵で自然を克服している姿が描かれています。
ロシア帝国──「世界の土地を六つに分け一を保てる大帝国」
ロシアはアジア・ヨーロッパ・アメリカの三大州にまたがる超大国。東西2900里、南北1500里。世界の陸地の6分の1を領有する巨大帝国でした。
- 皇帝一人が6400万の人民の上に立つ専制国家
- 兵士の数は60万
- 全国に8900の学校、95万人の生徒
- 産物は五穀・獣類・麻・タバコ、ウラル山には金銀銅鉄
- 「北を守りて南を攻め」——南下政策で周辺国を圧迫
福沢はロシアの南下政策に強い警戒感を示しています。「満洲も半ばはロシアに合わせられ、朝鮮の境まで勢い迫る」——この警告は、後の日露戦争を考えると驚くほど先見的でした。
「この行く末のありさまを今より図り定めなば、自社の見にも方からん」——つまり、ロシアの動きを今から見極めなければ、日本も危ないぞ、というメッセージです。
北アメリカ州──「自由独立」の新世界
福沢が最も熱を込めて描いたのが、アメリカ合衆国です。ここには福沢自身の思想が最も強く反映されています。
カナダ──イギリス領の広大な北
北アメリカの北部、イギリス領カナダ。ケベックの砦は「アメリカのジブラルタル」と呼ばれ、セントローレンス川沿いにモントリオールなどの都市が開かれていました。北は北極から南は太平洋まで、イギリスの総奉行が支配する広大な領地でした。
アメリカ合衆国──独立と自由の物語
福沢はアメリカの独立戦争を詳細に、そして情熱的に描いています。
- 北アメリカの13州がイギリス本国の政府から独立を目指す
- 安永5年(1776年)、13州の名代人48名が連判状(独立宣言)を世界に示す
- 「天然の自由の権利が日々に縮まることぞ、嘆きとなる」——自由への渇望
- 「牛の命ふるう自由、整理屈して生きるより、国に尽くす」——命をかけた独立戦争
- 七年の長い戦いの末、大勝利
独立後のアメリカの政治体制について、福沢は「天下は天下の天下なり」と表現しています。主君はおらず、4年交代の大統領と議会が国を治める——当時の日本人にとっては驚天動地の政治システムだったでしょう。
合衆国の実力
- 商売はイギリスと肩を並べる
- 教育・技芸・学校はフランスの右に出る
- 産物:五穀、綿、タバコ、ブドウ、果物、サトウキビ、金銀、銅鉄、石炭
- 人口3000万超、日々増加中
- 13州は3倍の36州に拡大
- 首都ワシントンの国会議事堂は高さ180尺
ニューヨーク──交易の中心
ワシントンから北へ百里のニューヨーク。人口およそ100万人、交易の繁盛ぶりは「イギリスのロンドンにも劣らぬ」と評価されています。
カリフォルニア──ゴールドラッシュ
西海岸のカリフォルニアは「金の里」。嘉永3年(1850年)に始まったゴールドラッシュで人口が急増し、金山だけでなく畑や田の農業も盛んになり、太平洋岸に一大都市を誇るようになったと紹介されています。


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