📋 目次
📖 この記事でわかること
- ✅ 聖書原典と通説「神が塔を壊した」の決定的な違いがわかる
- ✅ ブリューゲルの螺旋型バベルの塔のデザイン起源がわかる
- ✅ 16世紀アントワープの時代背景と絵画の爆発的増加の理由がわかる
「バベルの塔」と聞くと、人間の傲慢さに怒った神が塔を壊した話——そう思っていませんか?
実はこれ、聖書の原典には書かれていません。
さらに、ブリューゲルが描いたあの有名な「丸い螺旋型の塔」にも、意外すぎるモデルが存在します。
今回は、バベルの塔にまつわる「知っているつもりだった常識」を根本からひっくり返す話をお届けします。
聖書の原典では「塔は壊されていない」という衝撃の事実
まず最大の誤解から。
旧約聖書・創世記11章を読むと、神が塔を破壊した描写はどこにもありません。
書かれているのは、「人々の言葉を混乱させ、各地に散らばらせた」ということだけ。
塔そのものは、ただ放置されているのです。
しかもこの創世記11章、実はわずか数節しかありません。
非常に短い記述なのに、後世にどんどん尾ひれがついて、現在の「バベルの塔」のイメージが作り上げられました。
「神が塔を壊した」という話は聖書原典ではなく、紀元1世紀のフラビウス・ヨセフス著『ユダヤ古代誌』が出典です。ここでノアのひ孫ニムロデが洪水対策として高い塔を建て、神が風で倒したという話が加わりました。これが通説として広まったのです。
神が怒った本当の理由は「傲慢」ではなかった
「天に届く塔を建てようとした人間の傲慢さに、神が罰を下した」。
これも多くの人が信じている解釈ですが、聖書の原典を読むと違う景色が見えてきます。
ノアの箱舟の話の後、神はノアと契約を結びました。
その内容は「地に満ちよ」——つまり、世界中に散らばって繁栄しなさい、ということです。
ところがバベルの人々は、散らばることを恐れ、一箇所に集まって塔を建てようとしました。
つまり、神の怒りの原因は「高い塔を建てた傲慢さ」ではなく、「散らばれという契約に反して一箇所に留まろうとしたこと」だったのです。
人間が傲慢にも天に届く塔を建てようとした → 怒った神が塔を破壊した
「地に満ちよ」という神の契約に反して一箇所に集まった → 神は言葉を混乱させて散らばらせた(塔は壊していない)
「傲慢への罰」の通説はどこから来たのか
では、私たちが「常識」だと思っていた話はどこから来たのでしょうか。
答えは、紀元1世紀にユダヤ人歴史家フラビウス・ヨセフスが書いた『ユダヤ古代誌』です。
この書物の中で、ノアのひ孫にあたるニムロデという人物が登場します。
ニムロデは洪水を恐れ、「もう一度洪水が来ても大丈夫なように」と高い塔を建てた。
それに対して神が怒り、風を送って塔を倒した——という話が加えられました。
つまり「傲慢への罰」「塔の破壊」というストーリーは、聖書が書かれてから約1000年後に書かれた別の文献由来なのです。
このヨセフスの著作は西洋世界で非常に広く読まれたため、いつしか原典の内容と混ざり、「常識」として定着してしまいました。
ブリューゲルの塔のモデルはコロッセオだった
ブリューゲルの「バベルの塔」といえば、あの巨大な丸い螺旋型の塔が印象的です。
この独特なデザインのモデルとして、よく挙がるのがイラクにあるマルウィヤ・ミナレット(螺旋状の塔)です。
しかし、この説には根拠が弱いと指摘されています。
十字軍はマルウィヤ・ミナレットのある場所まで到達しておらず、その情報がヨーロッパの画家に伝わったという確証がないのです。
では実際のモデルは何か。
答えはローマのコロッセオです。
当時のフランドル(現在のベルギー周辺)の画家たちは、イタリアへ修行に行く伝統がありました。
ブリューゲルも実際にイタリアを訪れ、ローマを見ています。
コロッセオの半壊した姿——アーチが連なる巨大な円形構造——を目の当たりにして、それをバベルの塔の形に取り込んだと考えられています。
- マルウィヤ・ミナレット説 → 十字軍が到達しておらず、情報伝達の証拠が弱い
- コロッセオ説 → ブリューゲル本人がイタリア修行でローマを訪問した記録がある
- コロッセオの半壊した姿が、建設途中のバベルの塔のイメージと合致する
なぜ「丸い塔」は16世紀アントワープに集中したのか
ここで非常に興味深い事実があります。
丸い螺旋型のバベルの塔を描いた画家の8〜9割が、16世紀後半〜17世紀前半のアントワープ関連の画家なのです。
バベルの塔は古くから描かれてきたテーマではなく、この時期、この場所に突如として集中的に登場した特殊な現象でした。
なぜアントワープだったのか。
その鍵は、当時の政治・宗教的状況にあります。
- 16世紀、アントワープはスペイン・ハプスブルク家の支配下にあった
- 同時期、宗教改革が進行し、カトリック vs プロテスタントの激しい対立が起きていた
- 言葉が通じなくなり散り散りになるバベルの塔の物語が、当時の社会状況と重なった
- 画家たちはバベルの塔を通じて、自分たちの時代の混乱を表現していた
つまり、バベルの塔の絵画は単なる聖書の挿絵ではありません。
宗教と政治に引き裂かれた社会の中で、画家たちが「今まさに起きていること」を聖書の物語に重ねて描いた、時代の証言だったのです。
ブリューゲルの「大バベル」と「小バベル」を比べてみよう
ブリューゲルはバベルの塔を2作品描いています。
通称「大バベル」と「小バベル」です。
- 大バベル:114×155cm。ウィーン美術史美術館所蔵
- 小バベル:60×74.5cm。ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵
サイズだけでなく、描写にも違いがあります。
大バベルは王が視察に訪れる場面が描かれ、建設の活気が感じられます。
一方、小バベルは人物が小さく、塔そのものの巨大さと不穏さが際立つ構図です。
2作品を並べて見比べると、ブリューゲルがこのテーマに対して異なるアプローチを試みていたことがわかります。
バベルの塔の絵画は「建築技術の記録」でもある
見落とされがちな視点をもうひとつ。
バベルの塔の絵画には、それぞれの時代の建築技術がリアルに描き込まれています。
ブリューゲルの作品をよく見ると、クレーンや足場の組み方、石材の積み方など、16世紀の建設現場の様子が細かく描かれています。
これは空想で描いたものではなく、当時実際に使われていた技術を参考にしたものです。
つまり、バベルの塔の絵画は聖書のエピソードを描きつつ、その時代の最先端の建設技術を記録した「技術資料」としての側面も持っているのです。
美術作品を見る際に「この時代の建築技術が反映されている」という視点を持つと、鑑賞がぐっと深くなります。
原典に立ち返る習慣が「知の深さ」を変える
今回の話のポイントは、「バベルの塔」という有名な物語でさえ、通説と原典にこれだけ大きな差があるということです。
「神が塔を壊した」と信じていた人は多いはず。
「傲慢への罰」だと思っていた人も多いはず。
でも、原典を読めばわずか数節で「違う」とわかります。
「常識」だと思っている知識の出典を遡ってみる。
この習慣をひとつ身につけるだけで、美術鑑賞も、歴史の理解も、日常の会話も、一段深いものに変わります。
旧約聖書・創世記11章1〜9節を読んでみよう。
ネットで検索すれば数分で読める分量です。
「塔が壊された」と書かれていないことを、自分の目で確認してみてください。
「バベルの塔って、神が壊したと思ってない? 実は聖書には塔を壊したなんて一言も書いてないんだよ。言葉を混乱させて人々を散らばらせただけ。しかも怒った理由も『傲慢だから』じゃなくて、『散らばれって言ったのに一箇所に集まったから』。あと、ブリューゲルのあの丸い塔、モデルはコロッセオなんだって。マジで原典読むとイメージ変わるよ。」


コメント