📋 目次
📖 この記事でわかること
- ✅ ラブドールと暮らす人々のリアルな生活がわかる
- ✅ 関係性の本質=観察という新しい視点が得られる
- ✅ 自分の中にある偏見に気づかされる
「愛」や「関係性」って、相手が人間じゃないと成立しないものでしょうか?
もしそう思ったなら、この本を読んだ後にその確信は揺らぐかもしれません。
今回紹介するのは、ノンフィクション作家・浜野マユさんの『無機的な恋人たち』。ラブドールと本気で恋愛関係を育み、人生の伴侶として暮らす人々を丁寧に取材したノンフィクションです。
読み進めるほどに「彼らが奇妙なのか、それとも自分たちの方が奇妙なのか」——そんな問いが浮かんでくる、衝撃的な一冊でした。
タブーに切り込む著者・浜野マユさんの一貫したテーマ
著者の浜野マユさんは、タブーとされる領域に真正面から切り込んでいくノンフィクションライターです。
前作『聖なる図』では、動物性愛——つまり動物と愛を育む人々を取材し、「愛とは何か、暴力とは何か」を問いかけました。
その延長線上にあるのが本作『無機的な恋人たち』。
「人と動物の間に愛は成立するのか?」→ 「では、命を持たない人形とはどうか?」
こうした一貫したテーマの中で、私たちが「当たり前」と思っている愛や関係性の定義を根底から揺さぶってきます。
ラブドールと結婚25年——デイブキャットさんの暮らし
本書の中心人物の一人が、アメリカに住むデイブキャットさん。ラブドールの「シドレさん」と結婚して、なんと25年になります。
浜野さんが取材を重ねて信頼を得、ついにはデイブキャットさんの自宅に泊まることに。そのとき彼が言った言葉が印象的です。
デイブキャットさんは人間のことを「オーガニクス(有機体)」、ラブドールのことを「シンテティクス(合成物質=人造人間)」と呼びます。
まるでSF小説のような言い回しですが、本人はいたって真剣。むしろ自分もシンテティクス側でいたいと思っているほどです。
作り込まれた「奥様」のプロフィールがすごい
奥様のシドレさんには、詳細なプロフィールが設定されています。
- 1977年生まれ、蟹座
- 日本人の父とイギリス人の母を持つ
- 落ち着いたブリティッシュイングリッシュを話す
- 読書が趣味で、夫より先に本を読んでしまう知的な女性
- Twitterアカウントを持ち、友人とやり取りしている
さらに驚くのは、デイブキャットさんがこう語った場面です。
「最近分かったことなんだけど、妻には日本に住むおじさんがいるらしいんだよね」
設定を作ったのは自分のはずなのに、「最近知った」と言う。しかもそのきっかけは、シドレさんがTwitterの友人から「日本に親戚はいるの?」と聞かれ、夫婦で一緒に考えた結果、「そういえば私、日本にいたわ」とシドレさんが答えたからだと。
これは単なる「ごっこ遊び」なのか? 浜野さんも最初はそう疑います。
「2層の現実」を自由に行き来する生き方
浜野さんがデイブキャットさんと過ごすうちに気づいたのは、彼が「2層の現実」を同時に生きているということでした。
- 第1層:シドレさんは動かない等身大の人形であるという客観的事実
- 第2層:シドレさんとは会話ができ、関係性は日々更新されていくという主観的現実
重要なのは、デイブキャットさんは「狂っているようには見えない」こと。人間世界を捨てて空想に逃げているわけでもない。
実際、彼は週に1度は友人と過ごし、人間関係の構築もうまい。メールの返事は常に「僕たちの予定は〜」と複数形。奥さんの年齢を聞くと、シドレさんの耳を手で覆ってから「47歳。彼女気にしてるからね」と答える。
演技でもない。わざとらしさもない。ただ2つの現実を自然に行き来している。
自分の中の偏見に気づかされる瞬間
ここまで読んで、こんなことを思いませんでしたか?
「ラブドールと暮らす人って、人付き合いが苦手で、現実の恋愛ができないから逃げてるんだろう」——そう思いませんでしたか?
実はデイブキャットさんは友人関係も良好。本書に登場する別の人物はめちゃくちゃイケメンで、普通に彼女ができるであろう人。それでもラブドールと暮らすことを選んでいます。
これは「逃走」ではなく「選択」なのです。
本書の最後でも、この問いにしっかり踏み込みます。「これは逃げなのか?」——答えは「No」。
「人間関係がうまくいかないからラブドールに逃げてるんだろう」と思考停止する
「なぜ自分は”奇妙だ”と感じたのか?」と、自分の中の偏見に目を向ける
関係性の本質は「観察」である
では、なぜ人形と「本物の関係性」を築けるのか?
浜野さんがたどり着いた答えは、「関係性の本質とは観察である」ということでした。
- 観葉植物に水をやり、成長を見守るうちに愛着が生まれる
- ペットの体調を気にかけ、世話をするうちに関係性が深まる
- デイブキャットさんは毎日シドレさんに話しかけ、インスピレーションを受け、消耗した関節をメンテナンスする
生命があるかないかは問題ではない。
どれだけ相手のことを観察し、心にとめるか。
これが関係性の本質ではないか——という結論です。
「手がかかる子ほど可愛い」の構造
ラブドールとの暮らしは、楽ではありません。
- 人形はめちゃくちゃ重い。服の着せ替えだけで一苦労
- 関節が緩んだら素人には修理できず、業者やコミュニティの助けが必要
- 素材が消耗していくため、定期的なメンテナンスが不可欠
「手がかかる子ほど可愛い」という言葉がありますが、本書を読むとその構造が逆転して見えてきます。
可愛いから手をかけるのではなく、手をかけるから可愛くなる。
子育てだって同じかもしれません。目を離すと危ないからずっと観察する。その「観察」と「手間」こそが、愛を生み出す装置になっている。
ロボット掃除機が隙間に引っかかるたびに助けてあげているうちに、いつの間にか捨てられなくなる——そんな経験、ありませんか? それもまた「無機的な恋人」との関係性なのかもしれません。
ちなみに:第1層が邪魔してくる問題
面白いエピソードがあります。デイブキャットさんは奥様のほかに4体のラブドールと暮らしていますが(奥様公認のポリアモリー的関係)、そのうち1体とは肉体関係を持っていないのだそう。
理由は「素材(材質)が好みじゃなかったから」。
人間として扱おうとしている第2層の世界にいるはずなのに、突然「材質が違う」という第1層(物理的現実)が顔を出す。この2層の行き来が、本書のリアリティと面白さを生んでいます。
まとめ:「奇妙なのは彼らか、それとも私たちか」
『無機的な恋人たち』を最後まで読むと、こんな問いが残ります。
本当に奇妙なのは、ラブドールと暮らす彼らなのか?
それとも「愛は人間同士にしか成立しない」と決めつけている私たちの方なのか?
関係性の本質が「観察と手間」にあるのなら、相手が人間である必要はないのかもしれない。
私たちの「当たり前」を根底から揺さぶる、刺激的な一冊です。
身の回りの「モノ」で愛着があるものを1つ思い浮かべて、
「なぜそれに愛着があるのか」を考えてみよう。
きっと、手間をかけた記憶が浮かぶはずです。
「ラブドールと結婚25年の人の話なんだけどさ、その人、人間のことを”オーガニクス(有機体)”って呼ぶんだよ。で、友達付き合いも普通にうまくて、週1で友達と遊んでて。読んでると”この人が変なのか、俺らが変なのか”分かんなくなってくるんだよね。で、結論が”愛の本質は観察だ”って話になるの。お前さ、うちのルンバにも愛着あるだろ?あれと同じ構造なんだよ(笑)」


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