📋 目次
📖 この記事でわかること
- ✅ 何者にもなれなかった焦りとの向き合い方がわかる
- ✅ 東京への憧れと現実のギャップの正体がわかる
- ✅ 自分のダサさを受け入れるヒントが得られる
「ここに来れば変われると思ったのに、変われなかった」──そんな経験、ありませんか?
進学、就職、上京。環境を変えれば自分も変わるはずだと信じて飛び出したのに、結局ダサい自分がそのままついてきた。
今回紹介する小説『じゃない方の彼女』は、まさにそんな「何者かになりたかったけど、なれなかった人たち」の物語です。読み進めるほどに「これ、自分の話じゃないか」と胸が締めつけられる一冊でした。
「ダサい田舎」から逃げた先にあったもの
主人公の池田さんは、田舎で育った女性。
彼女の人生にはずっと「ダサい」という言葉がまとわりついていました。その元凶は、お母さんの口癖です。
- 娘が「これ欲しい」と言えば「それはダサいからこっちにしなさい」
- 田舎に住みながら「田舎はダサい」と嘆く
- 東京には「空気が汚い」「詐欺師ばかり」とネガティブ発言
- 100%のオレンジジュースを水で割って出してくる(「この方がお得でしょ」)
あらゆるものに「ダサい」と言いながら、お母さん自身がいちばんダサい。
その矛盾に気づいた池田さんは、「こんな田舎、絶対に出てやる」と決意します。
パチンコ屋の2階のカラオケで勉強する女子高生
彼女が受験勉強をした場所は、パチンコ店の2階にあるカラオケボックスでした。
高校生が行ける範囲にカフェも図書館もない田舎。タバコ臭い部屋の中、窓の外からパチンコ店のネオンが差し込む。その中で黙々と勉強する。
都心の高級マンションには「スタディルーム」という共用スペースがある。家自体がすでに恵まれた環境なのに、さらに集中できる個室ブースまで用意されている。一方で、田舎の子はパチンコ屋の上のカラオケでしか勉強場所がない。この格差は、努力だけでは埋められない現実を突きつけてきます。
それでも彼女は諦めなかった。
カラオケの曲名検索で「東京」と名のつく歌をひたすら予約して流しながら、1人で勉強し続けたのです。
憧れの街の名前を何度も聴きながら、必死に自分の人生を掴もうとしている。滑稽にも見えるけど、切実で、美しい光景です。
夢の東京生活──そしてすぐに「ダサい」に追いつかれる
無事に大学に合格し、東京へ。
今度はカラオケで「東京」の歌を歌える。勉強のBGMじゃなく、自分の声で。100%のオレンジジュースも水で割らずに飲める。
22時を過ぎてもコンビニや街灯で明るい街。世界そのものの暗さが減ったような気がしていた。
環境は変わった。でも、自分は変わっていなかった。
新歓のカラオケで、彼女はまったく馴染めません。
「みんなが素晴らしくスマートな生き物に見えてくる」地獄
小説の中に、こんな描写があります。
- 周りの振る舞いをコピーしようとするが、場が盛り上がるにつれて間に合わなくなる
- 意識すればするほど、みんながスマートな生き物に見える
- 気ない私服、下手なメイク、口元の力の入れ方、目線の動かし方、手の置き場──1つ1つ、何かが違う
この「あるある」の解像度が、恐ろしく高い。
着ている服、お酒の頼み方、座っているときの姿勢。「自分だけ何か間違っている」という感覚。おしゃれになりたいわけじゃない。ただ、最低基準をクリアしたいだけなのに、そのラインすらわからない。
「おしゃれになろう」と気合を入れて独自路線に走る → 斬新ですねと言われる(=迷走)
「差別化だ」とオールバックにする → あだ名が「立ちひし」になる
王道を知りたかっただけ。ダサくない最低ラインを超えたかっただけ。
でも、それを誰も教えてくれなかった。
「カラオケのイメージ映像に出てきそうな女の子」という最悪の悪口
居場所をなくした主人公がドリンクバーに逃げると、同級生たちの声が聞こえてきます。
90年代に撮影されたものが多いからか、出演者のメイクや服装が古い。わざとらしい演技が目につくが、その顔は曲が終わると思い出せなくなるくらい印象が薄い。──まさに私だ。
しかも、この言葉を言った女の子たちは悪い人じゃない。
「体調悪いのかな」「今度こっちから話しかけてあげよう」と気遣いまでしている。主人公もそれを聞いて「いい人たちだ」と思った。
でも、だからこそ苦しい。
主人公はお金だけ置いて、黙ってカラオケを出ていきました。
「東京」はどこにもなかった
それからの彼女は、何度も1人カラオケに通い、「東京」とタイトルに入った曲を歌い続けます。
- ここは東京じゃない。本当の東京は別にあるはずだ
- どこか別の場所から優しい顔で自分を見ている東京があるはず
- ドリンクバーからはどのボタンを押しても100%のオレンジジュースが出てくる
- その確信は曲が盛り上がるほど強まり、1曲が終わると途切れる
- また次の「東京」で始まって、高まって、途切れて、消えた
「東京」はメタファーです。
あそこに行けば変われる。あの会社に入れば。あの人と付き合えば。──誰もが心のどこかに持っている「ここではないどこか」への憧れ。
でも、どこに行っても自分は自分のままだった。無音のカラオケボックスに立ちすくむ自分がいるだけ。
「どれも嘘で、どれも本当」──東京の正体
ある歌手の「東京にて」という曲に、こんな歌詞があるそうです。
「ライブハウスができては潰れて名前が変わってまた戻って、解散したバンドは友達じゃないけど私のこと歌ってた」
「ロックバンドから見える東京、ホームレスから見える東京、ピンヒールのOLの東京。どれも嘘で、どれも本当。」
道ゆく人はみんな存在がどっしりしていて、地に足がついているように見える。でも実はその人たちも、虚勢を張りながら必死に生きていたのかもしれない。
三島由紀夫も『夏子の冒険』の中で、東京を「虚飾に塗られた灰色の町」「おもちゃ箱をひっくり返したような街」と表現しました。ガチャガチャといろんなものがあって賑やかに見えるけど、実は全部灰色で空虚だったと。
東京が輝いて見えるのは、そこに立つ人がそれぞれの虚勢と憧れを投影しているからなのかもしれません。
環境を変えても自分は変わらない──だからこそ
結局、池田さんは大学を卒業後、新卒で入った会社も辞め、小さなスーパーマーケットでアルバイトとして働くことになります。
「ここではないどこか」を求め続けて、たどり着いたのはスーパーのレジ。自己肯定感が下がりそうな現実です。
でも、この小説が教えてくれるのは「だからダメだ」ということではない。
自分のダサさから逃げるのをやめて、それと向き合い始めたとき、初めて「じゃない方」の自分を受け入れられるようになる。理想の自分じゃない方の自分にも、ちゃんと人生があるという話なのです。
この小説が刺さる人の共通点
- 環境を変えれば自分も変わると思ったことがある人
- 周りはうまくやっているのに自分だけ浮いていると感じたことがある人
- おしゃれになりたいんじゃなくて「ダサくない最低ライン」を知りたかった人
- 飲み会やカラオケで「ドリンクバーとトイレだけが味方」だった経験がある人
- 「ここではないどこか」をずっと探し続けている人
「理想の自分じゃない方の自分」に、一度だけ「まあ、しょうがないか」と言ってみてください。それが、ダサさと向き合う最初の一歩です。
「最近読んだ小説がさ、えぐかったんだよね。田舎がダサいから東京出たのに、結局ダサい自分はそのままだったっていう女の子の話。しかも大学の新歓カラオケで馴染めなくて、ドリンクバーに逃げたら『カラオケのイメージ映像に出てきそうな子だよね』って言われてるのを聞いちゃうの。しかも言った子たちは悪気ないいい子っていう……。いや、俺も上京した時まったく同じだったわって思って。環境変えても自分は変わんないんだよなって、めちゃくちゃ刺さった。」


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